北京飯店
 
知る人ぞ知る楽宮の下
 



気にしない

久方ぶりの再会
逃れようとしていた存在だった が
時間が解決したようだ
彼女には 余裕ができていた

笑い話のようで 怖い話

私が 彼女と一緒に 住んでいた頃
彼女の妹が 
フアラン と結婚した
田舎での結婚式は 
村を挙げての盛大なもので
新築の家も たいしたものだった

アメリカ空軍の退役軍人

その フアランが昨年 死んだ という事だ
回虫が原因 らしい
「アメリカ人は 回虫に やられた」
そんな簡単に 死んでも 良いものか
しかし事実である

残された 彼女の妹には 
新築の大きな家 車 バイクもろもろ
毎月4万バーツの 保険金

お蔭で 姉である彼女も 当然 潤っている

3年ほど前 
バンコクの安アパートで 彼女と暮らしていた頃
よく似た話を 彼女から聞いた事がある
田舎に住んでいる
「フアランが 腰痛で死んだ」
だから
「葬式に行ってくる」と
とうゆう話を 思い出した

よく フアランが死ぬ 村なのだ

2年ちょっと前
私は 彼女の田舎に住むのを やめて
彼女を捨て ネコを残し 日本に帰ったから
死ぬチャンスを 逃したのです

彼女からの報告を聞いていると
そうゆう運命の流れが 
目の前で パラパラとページをめくるように
傍観している感覚になり 
死んだ キャプテン の事を回想し
あそこの村人達の 目を思い出した

私は 生きている
生きているから 傍観できるし
主人公にも なれる 訳で
人生 長い方が良い
時間が経つという事は
過去あった事が 順番に繋がって
私の周りを 包んでくれる事で
それが 良いことでも 悪い事でも
とにかく面白い

「過去の思い出に浸る」という事は
老人的な 終わった人生 を感じる言葉ですが
実は
過去の出来事と経過が経験になり
現在の出来事と迷いを 楽しむ事ができる
という事だと 感じました

今回の奉タイは こんな感じで もうすぐ帰国を迎えます



2005年5月16日(月)14:43 | トラックバック(0) | 予感! | 管理

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